俺、対人恐怖症が治った!のかな???

対人恐怖症のイラスト

「対人恐怖症治った!・・・かも」

最近ふと思います。

このブログを書いている現在、私は30歳です。

営業職に就いて2年。

毎日いろいろな会社を訪問して、どうにかやっています。

まっとうな人間様たちと会話ができるようになれるとは夢にも思いませんでした。。。

今までの私は、、、

これまでの無限ループ
①就職

②うつ病になる

③退職

④しばらく無職

①に戻る

私は、一生のうちに何回このループをまわすのか、、、と絶望しかありませんでした。

しかも、短期間での度重なる転職で、①の就職も厳しさを増すようになり、このループからの脱落も考えうるようになっていました。

 

現在は営業職を2年続けられており、「営業職は楽しい」「まだまだ売上が欲しい」と前向きに頑張れています。(一般の方からすると、たったの2年ですね。)

 

本を読んでは「今度、この言い回しを試してみよう」と心踊ります。

 

こうなれた経験を踏まえ思うことは2点あります。

1⃣「対人恐怖症の自分を認めてくれる環境が全て」
2⃣「対人恐怖症は治らない。けれどもビジネス仮面を被ってやり過ごせるようになる」

1⃣に関しては、「そんな環境どこにあるんだよ!」「そんな会社がある訳ないだろ!」とのお言葉を頂戴しそうです。

おっしゃる通りです。

まったくもってその通りだと思います。

私はその環境に出会えたからこそ、試行錯誤して2⃣のビジネス仮面を被れるようになりました。

 

 

 

1⃣認めてくれる環境との出会い

 対人恐怖症の無限ループの中で苦しんでいた私は、一人で完結するドライバーのような仕事を探していました。

トラックのドライバーのイラスト(男性・荷物あり)

その前職はプログラマーでした。

こちらも一人で黙々とできる仕事なので選びましたが、そうもいかず、、、そもそも自分の周りに誰もいない職を選ぼうと決めました。

 

そして私は、ある中小企業のルート配送の求人に応募しました。

社長との面接でしたが、自分は人が苦手であることを話しました。

社長は「一人で完結する仕事だから向いているね!」と明るく言ってくれました。

 

実際に仕事内容は、商品を積んで一日運転し、お客様工場でも受け付けで挨拶をするくらいの夢のようなものでした。

 

業務報告もメールでするのみで、毎日好きな音楽を聴きながら運転をしました。

 

私は安住の地を見つけた気分で、体中の水分を嬉し涙で失いました。

膝でスライディングするサッカー選手のイラスト

それからは1年は平穏な毎日が続きました。

 

営業への誘い・・・

仕事にもすっかり慣れ、楽しく毎日を過ごしていた私ですが、1年程経った頃に、社長より驚きの打診をされました。

 

「営業にまわってくれないか?」

 

営業の方が退職することになったそうなのです。

そこで、私が営業職になり、私の休日に配送を担当していたバイトの方が、正社員となって私の業務を引き継ぐと。

顔色が悪い人のイラスト(男性)

本当に嫌でした。

ただ社長が「君が対人恐怖症なのは知っている。私は君の味方だし、しっかりサポートする」と言ってくれました。

それにも驚きました。

これまでの職場では、対人恐怖症であることを隠し、挙動不審な素振りは一切出してはならないと思えば思うほど、変になっていました。

 

対人恐怖症と分かってもらえる環境の中でなら、やっていける気が0.0001%程はしました。

 

1度も怒られなかった

 営業職として、社長に連れられて色々なお客様を回りました。

私は、本当に酷いものでした。

対人恐怖症で緊張する私

名刺交換だけして、一言二言しか話せず、お客様から「こいつで大丈夫か?」と思われたことでしょう。

実際に今になって、お客様より「当初の〇〇さんは大丈夫かな?と思ったよ」と言われます。

お客様を訪問した帰り道、てっきり社長に怒られるかと思いました。

「もっと声は大きく」だったり「はきはきしろ」だったり。

ですが、社長は何も言いませんでした。にこやかでした。

絶対的に怒られない安心感からか、私は次第に言葉を発するようになりました。

 

その後も数々の失敗はしましたが、「こうしとけば良かったな」と言われることはあっても、威圧的に怒ることは全くありませんでした。

 

特に対人恐怖症の私の人格の芯を喰らうようなことは言いませんでした。

これまでの会社では、上司に報告する際に「何言っているか分からない!」「はきはきしろ!」と言われることが多々ありましたが、それによってより委縮してしまっていました。

怒る男性の上司のイラスト(叱る)

これまでは強度の委縮によって、常に押しつぶされた心で、脳にも深いモヤがかかった状態で仕事をしてきました。

 

私は安心できる環境の中で、自らのパワーを仕事に向ける余裕が出てきました。

初めての感覚でした。

 

 

 

2⃣ビジネス仮面を被れるようになる

 社長が圧倒的に見守ってくれる環境で、私は驚くように前向きになっていました。

 

学校でいじめられていることを、親に言えずに、一人で抱え込むのは辛いと思います。

親にいじめられていることを言えれば、親も対応をしてくれますし、気持ちは楽になると思います。

これは私も同じで、対人恐怖症であることを社長が知っていることで、安心感が生まれていました。

 

対人恐怖症にも様々なタイプの人がいますが、「人様に悪く思われてはならない」という思いが人一倍強い、真面目な人達だと思います。

 

お客様を訪問する際には、話すことを事細かに書き出しました。

 

会話の経験値が圧倒的に不足している私は、提案する内容も全て文章にしました。

対人恐怖症の私は文章を書く

笑える程文章を書いて、ロボットのように覚えていました。

これをやらないと不安で仕方がありませんでした。

 

表情もカチコチでしたが、次第に笑顔を見せられるようになってきました。

もちろん、辛い場面はたくさんありました。

いろいろな事を調べ、実践しました。

 

対人恐怖症のことをこれまで軽く打ち明けたことはありましたが、

「対人スキルも場数を踏めば身につくよ」と言われてきました。

その度に「普通の人は慣れるかもしれないけど、私はそうじゃない」と思い、こんなありきたりな言葉が返ってくるなら相談しなれば良かったとさえ思いました。

 

でも実際は慣れてきました。

問題は、今まで慣れる前に潰れてしまってきたことです。

慣れるまで、継続できるように励まし、認めてくれる環境が大事です。

もちろん会社は私たち対人恐怖症者を育てる慈善事業団体ではありません。

私は今の会社に出会えたことが幸運でした。

 

営業という仮面を被ると明るく振るまえ、ある程度会話もでるようになりました。

これは、お客様を前にすると自動的に作動するプログラムに近いです。

営業トークを練りこみ、笑顔で話すロボットです。

玩具のロボットのイラスト(紫)

私自身、対人恐怖症は治ったとは思っていません。

人に会うことは気が引けます。

今なら明るく話せるかもと思い、大学の同期との集まりに参加しましたが、昔の自分のままで結局孤立し、失望して帰ったこともあります。

コミュニケーションが苦手な人のイラスト(学校)

結局のところ、本来の自分は変わりませんが、術は覚えられるということです。

大学同期との集まりバージョンのプログラムも練り込めば、うまく仮面を被れるようになれるでしょう。

でも、思い出話が・・・笑。

 

 

 

続かないと思ったら無理せず次へ

 対人恐怖症の私たちは、仕事に定着するのがとても大変です。

私自身も、仕事に耐え切れなくなり、うつ病→退職→しばらく無職・・・と繰り返してきました。

ただ、「あっこれは苦しすぎる」と思ったら、素早く退職なりすることが大事かなと思います。

そう思った環境で頑張り続けるのは、結局のところ心身を壊し、遠回りになっていました。

次に就職する会社が自分に合っているかは、誰にも分りません。

神様にも分かりませんし、実際に入社してみないと分かりません。

私も最初は配送係として入社しましたが、営業としてもやっていける環境だとは夢にも思いませんでした。

 

苦しい環境の中で、心を削りながら働くのではなく、自分が安心できる環境に行くのが何よりも大切だと思います。

 

安心できる環境に行くことで初めて、苦しまないように頑張る力を、本来の仕事を頑張る力に変換できます。

 

対人恐怖症の人の苦しさは想像を絶します。

毎日決死の覚悟で会社に行き、あと少し何か起これば、文字通り起き上がれなくなる程追い込まれている場合もあります。

(実際にうつ病になると動けません。)

心を病む人のイラスト(男性)

対人恐怖症を治すことは不可能では無いと思いますが、

難易度はかなり高いです。

ですので、どうにか皆さんも今の自分でもやっていける安住の職場を見つけることを第一として考えて頂きたいと思います。

 

ルート配送やドライバー職はおすすめです。

自分の周りに目が無い気楽さがあります。