対人恐怖症であることを親に言えない・・・
これは本当に辛いことです。
対人恐怖症を克服する為には、自分の努力が大事です。
ですが、最も大事なのは、対人恐怖症であることを認めて、サポートしてくれる環境だと思います。
自分ひとりで克服するのは、室伏広治に腕相撲で勝つよりも難しいです。
そして、最も味方になって欲しい人、それは親ですよね。
私は親になかなか打ち明けられずに苦しみ続けました。
楽しいと嘘を言い続けた学生時代
私が「俺って人と上手く話せない」と感じ、対人恐怖症沼に足を踏み入れたのは中学生の頃です。
小学生の時から仲が良かった友達とは、そのままの関係性を中学でも続けることはできました。
しかし中学で新たに知り合った人達とは楽しく会話ができず、次第に孤立していきました。
それでも、いつも一人でいることは親には言えませんでした。
「学校は楽しいの?」と聞かれても、楽しいと答えていました。
高校、大学と進んでも状況は相変わらず。
私は高校でも大学でも部活をやっていましたが、親が大会の応援にくることが何よりも嫌でした。
普段は部員と一言も話さない日もある私です。
ですが、親が観に来る大会では、楽しそうにグループに溶け込んでいるふりをしていました。
私は、陸上部で長距離走をしていたのですが、自分が最もタイムが良かったので、周りが一目置いてくれて3年間続けられました。
遅かったら、部内で幽霊で邪険にされていたと思います。
そんな学生時代を過ごし、遂に対人恐怖症には辛すぎるフェーズに突入します。
そう、就職です。
学生時代は対人恐怖症でもやってこれました。
人と接さなくても、自分が寂しいだけで済みます。
ですが、会社に入れば、嫌でも人に囲まれ、人と話さなくてはなりません。
あろうことか、荒療治的な発想で、私は営業職としてある会社に入社しました。
無理やり対人恐怖症が治ることを期待しました。
ですが、、、お客様からの電話、人に囲まれたデスク、先輩への報告、一向に成果を上げないことへの上司からの説教、、、全てが辛すぎました。
次第に擦り切れていき、帰りの電車で誇張なしに飛び込んだら楽になれるかなと思ってくらいでした。
完全にうつ病になっていた私は、一日の最後に日報を書くのに1時間を要しました。
親に話した瞬間
私は実家に住んでいたのですが、親から見ても完全に狂っていたようです。
新卒で入社して4か月が経ったころ、夕食の際に母親からこう言われました。
「会社は辞めてよい」「辛いことがあるなら言いなさい」と言われ、遂に人が苦手であることを話しました。
学生時代のことも、この時に全て話しました。
親は薄々、私が学校でと上手くやれていないだろうと気づいていたようです。
「ここまで苦しんでいるとは気付けず、ごめんね」と言ってくれました。
その後、半月ほど仕事は続けましたが、限界に達し退職しました。
ここから、まだまだ対人恐怖症の地獄は続くのですが、親に言えたことで、一つ心の重りは降ろすことができました。
勇気を出すのは一瞬
親に人が怖いと話せたのは、ある日の夕食のことでした。
学生時代から長年隠してきたことを明かすのは勇気が必要でしたが、親は受け入れてくれました。
ずっと一人で抱え込んでいることは、大きなストレスとなって心を蝕んでいきます。
心の中に常に重りを抱えていた状態でした。
ただ、一瞬勇気を出すことで、その重りは消えていきました。
ずっと持ち続けていた重りの一つをやっと降ろせたときの安心感は言葉で表せません。
うつ病になっていて夜寝付けなかった私ですが、打ち明けたその日は嘘のように安心して眠れたのを覚えています。
まだ、打ち明けられていない方。
一瞬勇気を出してみてください。
その一瞬でかなり楽になります。
きっと親御さんは受け入れてくれます。
対人恐怖症であることを他人にも伝えてみる
私は現在、対人恐怖症であったことを忘れるくらい楽しく営業職として働けています。
正確には、根本の対人恐怖症は治っていませんが、仕事をするときはビジネス仮面を被ることを覚えました。
こうなれたのも、私が対人恐怖症であることを社長に伝えていたからです。
全く成果を上げられない時も、お客様と全く会話ができなかった時も、社長は怒ることをせず、根気よく育ててくれました。
これまでは、上手くいかなければ上司に怒られ、それによって更に委縮し、仕事ができなくなっていました。
そしてうつ病になり、再起不能になっていました。
現在の会社では、まったく上手くいかなくても励まされ、人と接する機会を得続けることができました。
対人恐怖症と伝えていたので、優しく指導してくれました。
このような環境に出会えたのは運が良かったからに他なりません。
親のほかにも、対人恐怖症であることを認めてくれる人がいると心強いです。